創世記32章30節

「そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。『私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた』という意味である」。罪を自覚する者が神の顔を見ることは恐怖です。直視すれば恐怖死します。罪人は神の視線を無視しながら暮らします。しかし、私たちは御顔を慕い求めて見上げます。それは、「古い私」が十字架に付けられて死に、「新しい私」が生まれているからです。