古希から喜寿への日々

今年の1月で73才となりました。正真正銘の老人ですが、昔、私が中年の頃、新聞の声欄に面白い小話がありました。18才の青年と81才の老人を対比したもので、①恋で胸をつまらせるのが18才。餅で喉をつまらせるのが81才。②自分探しをするのが18才。周りの人が自分を探しているのが81才。③恋におぼれるのが18才。風呂でおぼれるのが81才。実感できる今日この頃です。

 17年前に受洗し、聖書に出会い、エクレシアなどを通して、実に色々と学ぶことができました。聖書に登場する人物は、イエス様を除いて全員、脛に傷を持つ輩です。そして、人間は私を含めて、程度の差はあるものの、昔から現在に至るまで差別意識と偏見から抜け出せない罪深い存在だと思います。そして、私自身は楽観主義者なので、この世の中は、神さまの恵みのおかげで、古代から現在に至るまで全体として、着実に良くなっていると考えています。

 私は縄文から大正、どの日本の時代にも住んでみたいとは思いません。途中で一見、後退しているように見えても、人間を取り巻く環境は、間違いなく改善されています。

第2コリント12章9節「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」

 弱い部分があるので人間は謙虚になり、互いに助け合い、協力し合って、神の力によって人間の真の強さを発揮して、物事を成就、発展させてきたと思います。

 そして、コロナ禍で思ったことは、これは①主からの戒め?②サタンの仕業?③ヨブ記のようなサタンへの限定的許可?のどれだろうか。そして、ふと思いだしたのは、川端牧師が以前言っていた「神さまのご勝手」という言葉。神さまの考えること、なされることは、我々の人知をはるかに超えた想像不可の領域。したがって、神さまに身をゆだねて、一日一日を大切に、着実に歩めばそれで十分、それが本分だと思います。ハレルヤ! (森川桂造)