奮闘努力の甲斐はある

「(娘の)Mが、私の花嫁姿の顔みて、『こんな顔つきの人とは友達になりたくない』」なんて言うのよ!」と、友人のEさんが電話の先で笑いました。

 現在は関西在住のEさんとはママ友として知り合い、今では姉妹として親しくお付き合いしています。自分たちも、二人の子どもたちも同い年ということもあり、色々な楽しみや悩みを共有してきました。「こんな顔つきの人」とは、クリスチャンになる前のEさんを、娘さんがユーモアたっぷりに表現したことばです。

 もちろん、私も、それはひどい(!)ものでした。主に出会う前の私たちは自分自身のために、自己実現のために奮闘し、戦っていました。その心が顔や姿に現れていたのでしょう。

 しかし、信仰が与えられた今では、自分たちのために戦うことは、余り無くなりました。Eさんも私も嫁ぎ先では初穂なので、家庭では、夫に勝つためではなく、イエス様を伝えるために、奮闘するように変えられてきました。

 特にEさんの戦いっぷりは見事で、なかなか手強いご主人相手に、隙あらば主の愛を伝え、子どもたちにみことばを語り、祈り続けています。彼女の聖書は書き込みで一杯になり、新たに買い替えました。主は、彼女の奮闘に応えくださり、神様の話をすると舌を出していたという娘のMちゃんが信仰告白に導かれました。そして最近、OL時代の同期の子まで洗礼を受けるに至ったそうです。

 ♬奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の陽が落ちる♬とは、映画「男はつらいよ」の主題歌の歌詞です。でも、私たちが主のために捧げる奮闘努力の甲斐は、必ずあります。アブラハムは約束の子イサクが与えられるまで、25年間奮闘しました。

「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」。

 主の約束は真実です。(松田智子)