心の「ゆとり」

カトリックの信仰者であった土居武夫さんの著書『表と裏』に、「心のゆとり」について書かれていました。1970年代にベストセラーになった『甘えの構造』を書いた方といえば、思い出される方もいらっしゃるかと思います。

「ゆとり」という言葉は、たとえば「ゆとりのある空間」とか、「金にゆとりがある」というように使われます。その場合、ゆとりがあるのは、空間や金そのものではなく、その使い方にあります。

使おうと思えば使えるが、使い方が規定されていない状態が、ゆとりがあるゆとりがあるということです。

心もそれと同じです。心があることに向いていても、そのとりこになっておらず、必要とあらば、いつでもそこから引き離せる状態を、ゆとりがあるといえるのです。

その本には、心にゆとりを持つ秘訣は、安心して秘密を持つことであり、それは、人間の心の中にある秘密の生活を大事にすることだとありました。もちろん秘密主義のことではなく、逆に、自分の中にとじこもらず、安心して秘密を打ち明けられることです。

ただ、どんなに親しい友だちでも、秘密を打ち明けることはむずかしいことです。そして秘密が増えるほど、人の心はかたくなになり、ゆとりもなくなります。

しかし、私たちは、誰にも邪魔されることがない空間が心の中にあり、そこで自分のすべてをご存じの神と交わることができます。心を開いて祈り、神と深く交わる中で、ゆったりと時を過ごせるなら、人は、心のゆとりを取り戻していくことができます。

祈ることで、心のかたくなさ、不安、恐れ、偽りから解放され、自由な健やかな心で生活ができるようにされていきます。そんな習慣を、今年、身に着けてみませんか。

マタイ6章6節。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(谷野理恵)