親になって知る神様の愛

男の子の子育てをしていると、理解不可能なことが多くあります。彼らは、かなりの確率で、やらなくていいこと、やって欲しくないことをしでかします。何度同じ注意をしても、またそれを繰り返します。聞いてるようで聞いてないこともありますし、聞いても忘れてしまうことが多いようです。嘘をつく口、愚かなギャグに何度怒りを覚えたことか。

しかし、あれ?よくよく考えてみたら、自分も似たようなことをしているのでは?とふと気付くのです。神様から見たら、やらなくていいこと、やって欲しくないことをやり、同じ過ちを繰り返し、学んだことや心に決めたことを忘れ、嘘や愚かな冗談を言う…。なんということでしょう。似ているどころか、息子らに怒りを覚えること、まんま同じことを、自分もやっているのです。何十年も…!

でも、神様に怒られたり、酷い罰をもらったりすることはありません。むしろ、身の丈に合わない恵みばかり日々いただいています。

私はというと、しょっちゅう怒ります。が、息子らに食事を与えなかったり、酷い体罰を加えることはありません。一時怒りが溢れても、追い出すことはありません。悪さをしても、嘘をついても、きちんと反省し謝れば、最終的には許します。たとえまた同じことを繰り返しても…。一時は憎らしく思えても、やはり大切で愛する我が子だからです。

大変おこがましいですが、親になってから、「天のお父さん」の愛がどのようなものか、子どもの頃より理解できるようになった気がします。たとえ、息子が放蕩したとしても見捨てず、ずっと待つ愛であるということも。

冒頭で、滅茶苦茶な子ども達のように表現してしまったので、名誉のために言いますと、彼らは非常にユニークでそれぞれに光るものがあります。私たちも、一人一人全く違うユニークな存在で、それぞれに賜物が与えられています。神様はその存在をとても大切に思い、喜んでおられるということは、なんて嬉しいことだろう、と実感するのです。(津山祐子)