言葉で人の徳を養う

9月から週1回ですが、働き始めました。そこで、主にある兄弟が、「一緒に働けて嬉しい!」と会うたびに言ってくれます。この言葉に毎回、どれだけ励まされているかわかりません。言葉の持つ力は実に大きいです。

神さまはなぜ私たちに口を与えられたのでしょうか。それは、主を賛美するだけではなく、言葉を通しても良い働きをするのを願っておられるからだと思います。「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい(エペソ4:29)」-「人の徳を養うのに役立つことばを話す」とは、人が、神さまに造られた本来の良い姿(神の似姿)になれるように、言葉をもって励ますことだと弟子訓練の時に学びました。

私たちは一人一人、神さまによって造られ、愛されているかけがえのない存在です。私たちの生来の才能や気質、体も心も神さまがあらかじめ決めて造られました。全く同じ人はいません(イエス様の弟子にも色々なタイプがいました)。私たちが、キリストに似た者となることを願い、御霊によって変えられていく中で、本来神さまが意図しておられた姿に近づいていくのでしょう。その中で励ましの言葉、時には塩味の効いた言葉は大きな助けとなります。

そうはいっても、現実には言葉において失敗をし、人の徳を養うような言葉を話すのがどんなに難しいかを、日々体験しています。先日も息子を叱り、感情的にきつい言葉も使ってしまいました。自分の言葉が、徳を養うことからかけ離れていることに気づかされ、悔い改め、あらためて落ち着いて息子に話をしました。愛と親切な言葉は効果絶大でした。 この世で生きていく中で、私たちは人の言葉に良くも悪くも影響を受けます。しかし、自分のかける言葉によって他の人が励ましを受けて、神の似姿を回復させていけたら、どれほど嬉しいことでしょう。言わなくてもわかっているはずと思わず、良い言葉、励ましの言葉を周囲の人にかければ、あとは聖霊が働いてくださると信じます。(江口知子)