神の愛への信頼と恵みによる保障から始まる

今年の暗唱聖句は、マタイ5章16節です。

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」。

良い行いで人々に神の愛を現わし、キリストへと導きなさい、ということです。私たちは聖書を学ぶことに専心してきました。これからもそうです。そこからさらに、御言葉に従い良い行いをすることに力を尽くしていきます。

イスラエルの人々は、ヤコブ書を見てもわかるように、信仰の行いを大切にします。信じるとは、即、行うことです。神の言葉を現実に体で生きることを重視するのです。しかし、クリスチャンはまず考えて、信じて、また考えて、なかなか行わない人々だ、と揶揄されます。納得しないと行わない、いや、納得しても行おうとはしない、思いだけで終わるというのです。

 ユダヤ人はまず行い、行いながら考え、考えながら行う、と言われます。最初から完璧に行うつもりはなく、とにかくやってみて、失敗したら、反省し、考え直して再度行うのです。その繰り返しです。

行いには失敗はつきものです。しかし、信仰そのものには失敗はありません。もし、信仰に失敗があるとすれば、信仰を働かせず、何も行わないことです。何も行わないことで失敗しないことこそ、信仰の大失敗です。

私たちは御言葉を行いながら学び、学びながら行います。ゴールは、行いによってキリストの栄光を現わすことです。そのゴールに向かって進んでいないのなら、ヤコブに言わせれば、信仰は死んでいるのです。ヤコブは、「行いのないあなたの信仰を見せてください」と皮肉っています(ヤコブ2:16、17)。

失敗への恐れがありますか。ヨハネはこう語ります。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」(Ⅰヨハ 4:18)。

 恐れがないのは、神の愛と恵みへの信頼があるからです。失敗しても、神の愛も永遠のいのちも失わないという保障があるからです。新しい一年の祝福は、神の愛への信頼と恵みによる保障から始まります。