安息日の恵み

5月、約2年半ぶりにイスラエルに行きました。今回3週間の滞在で、たくさんの恵みがありましたが、中でも安息日の食事が心に残っています。

毎週金曜日の夕方になると(イスラエルでは夕方から一日が始まる)、ユダヤ人にとって大切な日が訪れます。シャバット(安息日)です。主がイスラエルの民に「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エ20:8)と命じられた通り、今も多くのユダヤ人がシャバットを大切に守っています。

他の6日間は安息日の為にあり、毎週安息日に向けて自分を整えていきます。それほど、安息日は特別な日なのです。

安息日は夕食(シャバットディナー)で始まります。1週間それぞれの仕事や学校で忙しく過ごした家族が、この日は揃って食卓を囲みます。友だちを呼ぶこともあります。シャバットのろうそくが灯され、パンとぶどうの飲み物の祝福の祈りを歌い、食事がスタートします。

滞在中、あるユダヤ人の家庭で安息日の夕食に招いていただきました。食事の間、家長のお父さんが安息日の話をたくさんしくださいました。中でも感動したのは、「安息日は意識してもしなくても、毎週やってくる。だからこそ、意識してきよめ別つことが大切なんだよ」という言葉でした。

 出エジプト記31章で、主はモーセを通してイスラエルの民にこう命じられました。

「あなたがたは、必ずわたしの安息を守らなければならない。これは、代々にわたり、わたしとあなたがたとの間のしるし、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、あなたがたが知るためのものなのである」(出エ31:13)。

毎週、7日目を聖別することで、民は主が自分たちを聖別する主であることを知ると書かれています。

 私たちも、イエスさまを信じる信仰によって神のものとされています。神以外の全てのものから自由にされています。安息日を迎える毎に、主が私を聖別してくださったことを思い起こします。イスラエルの家庭で過ごした安息日を通して、主に自分自身を捧げる礼拝と主にある家族と共に過ごす日として安息日を聖別し、主のものとされた喜びを味わう恵みを味わいました。安息日には主の恵みが溢れています。(田畑恵)