ぬくぬいで知る主の恵みと創造

去年から「ぬくぬい」の活動に参加し、ここ数ヶ月は、私は刺繍に取り組んでいます。まだなかなか上手く出来ないことだらけですが、針と糸でチクチクと縫っていく作業は、無心になれる、なかなか貴重な時間です。家で同じことをしようとしても、まずそのためだけの時間が取れません。教会の姉妹たちとおしゃべりしながらの、そんなチクチクタイムはあっという間で、リフレッシュできて、毎回とても楽しいです。

クリスチャンの方々の、御言葉を綴った刺繍作品をSNSで見て、素敵だなぁ、私もこんなものを作ってみたい!と思ったのがきっかけですが、頭に浮かんだ御言葉を、少しずつ縫っていく時間は、自分がその御言葉と向き合い、それを送る相手を思い浮かべる時でもあります。

不器用すぎて、うっかり布の端を縫い込んだり、変な所に玉留めができていたり、何度も糸が抜けたり、指に針を刺したり、とまぁ、散々です。布の裏側はひどいもので、一体何が描かれているのか、さっぱりわかりません(上手な人はそんなことないのかも…)。しかし、縫い進めていくうちに、表面には言葉が綴られ、草花の絵が出来上がっていきます。これはまるで、神様から見た私たちの人生のようだな、と思いました。

予想してなかったことが起きたり、こんなはずじゃなかった…とがっかりしたり、ぐちゃぐちゃなように思える…でも神様の目には、きちんと秩序ある人生が見えている。神様の御計画は、今はわからないけれど、後から振り返った時に「あぁ、あれで良かったんだ」と思えるのだと。まだ40そこらしか生きていない私ですが、布の裏側は相当カラフルで、目茶苦茶、その糸どこ行ってんの、という縫われ具合ですが、無意味だったことは恐らくひとつもなく、今となっては全て愛おしく思えます。

 また、ぬくぬいの他の皆さんの作品を見ていて感動するのは、たった1本の毛糸から、立体的な、美しいものが出来上がっていくことです。これは、少し大袈裟かもしれませんが、ゼロから世界を創造された神様の業を追体験するようなものではないでしょうか。この素晴らしく楽しい時を、様々な世代の方ともっと共有したい今日この頃です。(津山祐子)