叫ぶ石

週報に掲載されるコラム

「挨拶」から実践しよう」100516

御言葉を学び、調べ、覚え、思い巡らし、実践することが、私たちを造り変えていきます。そこに聖霊が働いてくださるからです。すべてはキリストの愛の実践です。しかし、その実践は具体的であるべきです。でなければ、愛が行いとして身につきません。行いが身について習慣となり、習慣はやがてその人の品性にまで高められ…

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「女性というと誰を思うか」100509

今日は母の日です。 新渡戸稲造が一高の校長だったとき、運動会に婦人用のベンチを用意させました。すると内部から「校長は婦人をかわいがる」と非難が出ました。こう言い方をされると、普通の男なら恥じて引いてしまうところです。しかし、新渡戸は少しもひるまず、「諸君は女性というとどんな女を思い浮かべるのか知らぬ…

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「神の愚かさは人よりも賢い」(ロゴス201003)

この65年間、日本は戦渦に巻き込まれることなく、平和と繁栄を謳歌してきました。努力と正直が比較的報われやすく、勤勉でありさえすれば、誰にでも高等教育と職業の機会が開かれた時代でした。一時期は、中流階級意識を持つ人が80%にも達したこともありました。何を言っても何をしてもいい自由な世の中でした。そして、…

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[着ぶくれて死なねばならぬ命守る]100502

「夢にては聞こゆる聾の夜長かな」 「目覚むれば元の聾なり菊枕」(聞く、とかけてある) 「炭火埋め怒りを埋めいたりけり」 子供の頃、私は、27軒の村の住人の顔と名はだいたい把握していました。でも、一度も話したことのない人がいました。それがこの俳句を残した若い女性です。彼女の姿は何度も見かけましたが、いつも…

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「3つの楽しみ」100425

マイク・ビックル(植野伝道師が3か月訓練を受けた米カンザス州のIHOPの牧師)がその著書『断食の報酬』の中で、三種類の楽しみについて語っています。それは「不正な楽しみ」「正当な楽しみ」「聖なる楽しみ」です。 「不正な楽しみ」とは、この世の快楽、罪の楽しみです。この快楽に馴染むと、私たちの霊性(主との関係…

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「人こそ資源」100418

私たちは学校で、「日本は国土が狭い上に、山国で平野が少なく、資源にも乏しい国だ」と習います。それゆえ、人こそが資源であり、日本人は勤勉に学び、働かなければならないと、教えられたはずです。そうして、日本人は勤勉な民族になりました。 石油など出なくてよかったのです。「この国に石油なんてあったら中東みたい…

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