がんばろう、日本!?

震災後、「がんばろう、日本」が標語になっています。一方、「がんばる」に批判的な人たちもいます。「がんばっている。これ以上、何をがんばれというのか」と。

今からおよそ1500年前、イスラエル民族は、「奴隷の地」であるエジプトから集団脱出し、「約束の地」に向かいました。しかし、「奴隷の地」と「約束の地」にはだかる「荒野」に40年さまよい、60万人の成人男子は、ヨシュアとカレブを除いて、ことごとく死に果てました。ただ二人だけは主を信じ、「約束の地」を期待したので、荒野を耐え通すことができたのです。彼らは40年間、がんばり抜きました。一方、主を愛することを忘れ、「約束の地」という目標を失った60万人は、がんばり通すことができませんでした。

「荒野」で希望や目標を失った人たちに、「がんばれ」と言っても意味がありません。彼らにとって「荒野」はまさに荒野でしかないのです。「荒野でこれ以上、何をがんばれというのか」ということになります。彼らには「がんばれ」より、希望と目標が見えることが必要なのです。

しかし、信仰と目標を持つ人々には、「がんばれ」は励ましになる言葉だと思います。「がんばる」とは、聖書の言葉を使えば、「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くす」(申命記6・5多数)、「努力して狭い門から入る」(ルカ13・24)、「あらゆる努力をする」(Ⅱペテ 1・5)、「からだを打ちたたいて従わせる」(Ⅰコリ 9・27)、「目標を目ざして一心に走る」(ピリ3・14)ことです。

さて、「がんばろう、日本」の標語ですが、一体がんばっていったいどこへ行こうというのでしょうか。この国の指導者たちは信じるところがないのか、こういう国を目指そうという理念を語りません。今の日本人に必要なのは、「がんばれ」ではなく、まず「愛しよう」「信じよう」「期待しよう」なのだと思います。

では、あなたはどこに向かってがんばっていますか。がんばる力が湧いてきますか。(「がんばる」は、原義の「我に張る」の意味では使われてはいません)