神の国の祝福の継承(中) 「何を継承するか」

先週紹介した『宗教消滅』の著者島田氏は、各宗教、教団は「継承」に失敗していることが衰退につながっていると指摘しています。たとえば、統一教会は米ソ冷戦時代に「反共」を掲げて、1960~70年代の学生を取り込みましたが、冷戦が終わり、次世代への継承ができず、今は60~70代の信徒が多数派なのだそうです。今後衰退の一途を辿り、やがて取り残されるでしょう。しかし、次世代への継承に失敗して来たのはキリスト教会も同じで、このままでは同じ危機に瀕すると思われます。
ところで、「継承」というとき、何の継承でしょうか。従来、キリスト教会では、「信仰の継承」を掲げてきました。今も「信仰継承」のセミナーがよく行われ、その方法論や実践法が語られます。私自身も、それに何の疑問も感じずにきました。しかし、『三つのテーマ』で聖書を語るようになって、気が付いたことがあります。聖書には、「信仰を継承する」ということばは出て来ないのです。聖書の中で、継承する、受け継ぐ、相続するということが語られるとき、その目的語は、「契約(約束)」「土地」「財産」「神の国」「永遠のいのち」「祝福」「恵み」「朽ちることのない資産」です。たとえば、四千年前のアブラハム、イサク、ヤコブ、イスラエル民族、そして教会へと継承されてきたのは「神の国の祝福の契約」です。また、パウロは「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です」(エペ 1:14)と語り、「聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか」を知ることを願っています。
ところが、いつの間にか、信仰継承こそ第一になってしまいました。では信仰とは何か。それは、こうした「神の国の祝福」を継承するために必要なものです。言ってしまえば、信仰は手段であって、目的そのものではないのです。しかし、教会は「神の国の祝福の豊かさ」を語るよりも、その手段である信仰を持たせ、強めることばかりに一生懸命になってきたようです。それが、今日の教会衰退の一因になっているのではないかと思います。では、「信仰継承」と「祝福継承」の違いは何かです。