人生の目的は主の栄光

『ウェストミンスター小教理問答書』は以下のような問答で始まります。

Q1 人の主な目的は、何ですか。
A1 人のおもな目的は、神の栄光を現わし、永遠に神を喜ぶことです。
Q2 神は、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教えるため、どんな基準を授けていてくださいますか。
A2 旧新約聖書にある神の御言葉だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です。

 人間の目的は、世俗哲学や心理学が唱えるような自己実現、自己発見、自己啓発、自己表現などではけっしてありません。神の栄光を現わすこと、つまり神がいかに偉大であり、聖く、力強く、慈しみ豊かな方であるかを人生を通して現わし、神を喜びとし、賛美していくことです。それゆえ、主なる神は、人間を「神に似た者」「神のかたち」に造り、「非常に良かった」(創世記1章)と宣言してくださったのです。詩篇は「主をほめたたえよ」という賛美の歌があふれています。
 ウェブサイトで、北欧の牧師が「初代教会の『福音』を、ヨーロッパの教会は『学問』に変え、アメリカの教会は『商売』にしてしまった」と語っていました。「学問」とは哲学、心理学のことであり、「商売」とは礼拝をショー化して献金を集める道具にするということです。もちろんすべての教会がそうではありませんが、世の人たちにそういう印象を与えていることは事実です。
神の栄光を現わし、神を喜ぶための唯一の指針は、聖書の神のことばだけです。欧米の哲学思想、神学が世界に広がったとはいえ、それは欧米という一地域のある時代の産物に過ぎず、聖書とは違います(昨今のグローバリズムも英米基準であって、世界の基準ではなく、もちろん聖書基準でもありません)。世の移り変わる思想、教え、風潮に左右されず、数千年来不変の聖書を学ばなければ、主の栄光は見えてきません。