人生を新築する

この世界では、すべてのものが古くなります。中古車を乗り回していたらどんどん新しくなった、古い家が住むうちに新築になった、年をとるにつれ次第に若返った・・・ということは起こりません。やがて新車も廃車、新築の家も廃屋となり、赤ちゃんも年老いて死に至ります。すべて朽ちて消滅します。死んだ人間が復活することは決してありません。人類は、死が支配する世界で、死に屈する歴史を歩んできたのです。
キリストの復活は、その死の支配を打ち破る出来事でした。ただ単によみがえったという奇跡の話ではなく、「死が支配する世界」のただ中に、「いのちが支配する世界」を新しく創造されるという歴史的出来事なのです。この「新しい創造」により、だれでもキリストを信じるなら、「新しい人」になり、「いのちが支配する世界」の中に入り、「いのちにあって新しい歩みをする」(ロマ 6:4)ことができるようになりました。聖書はこう語ります。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリ 5:17)。人生の新築です。それは古いものが新しくなる人生です。
私たちは、今も「死に屈する世界」に住んでいますが、たましいは「新しい創造の世界」に生きています。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(Ⅱコリ4:16)と言えるのです。そして、「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです」(コロ 3:10)。ですから、「古い人」の朽ちる体を基準にするのではなく、「新しい人」の思考形式で考え行動するのです。
トマスは、キリストが復活したと聞いたとき、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と答えました(ヨハネ20:25)。それは「死が支配する世界」の「古い人」なら当然の反応です。キリストはそのトマスにも現われ、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」「見ずに信じる者は幸いです」と言われました。トマスは信じる者となり、人生を新築します。
 聖書は、私たちにも復活を約束しています。しかし、自然法則だけが支配する(エントロピー増大の)世界に復活するといっているのではありません。その世界には人生の新築も死後の復活もありません。私たちは、新しい創造の世界に復活するのです。あなたにも人生を新築する機会が用意されています。