根拠のないうわさが飛び交う時代に

近年、インターネットのネットワークの広がりで、事実だけではなく、数%のホントから100%の嘘までが、瞬時にして世界を駆け巡るようになりました。国家レベルの虚偽報道あるいは捏造報道(Fake News)から、個人レベルの事実無根の噂まで飛び交っています。
恐ろしいのは、発信者が匿名であったりすること、責任を取らないこと、事実と嘘を混ぜること(嘘ばかりなら全部信じないで済む)、受信者が簡単に信じ込むこと、さらに噂に尾鰭をつけて拡散すること、噂の対象になった人が社会的に信用を失うこと、自殺まで追いつめられる場合もあること、時がたてば何が真実だったのか不明なまま終わること・・。
 それは、キリスト教界も例外ではありません。特定の教会や牧師に対する批判や噂や虚偽をネットで流す人たちは、数多くいます(発信者には牧師もいる)。その中には事実もあるのでしょうが、判別できません。私は今まで、標的にされた教会に牧師と直接コンタクトする機会がいくつかありました。いずれもネットに書かれているのとは別の事実がありました。中には、たった1枚の週報からの推量で、否定的な噂を流された教会もありました。いずれも、発信者が事実確認のために、現地を訪問したり、直接会いに来たりしたことはありませんでした。しかし、こうした巧妙な虚偽発信者に対して反論すると、泥沼化してしまうようです。
 もう一つ、当事者の話を聞いて、恐ろしいと思ったのは、虚偽情報をネットで流す人たちの中には、憎悪、妬みなどで正常な判断ができず、虚偽が事実だと自ら思い込んでいる人もいるということです。そんな人の攻撃対象になった人は、本当に辛いです。
 では、どうすればいいか。第一に、そういう匿名のネット情報は見ないことです。それでも聞かされた場合は、直接、当事者に会って、見て、聞いて、調べるまでは、無条件に信じてはならないということです。悪い噂は噂のままで終わらせるのです。『箴言』はこう警告しています。「最初に訴える者は、その相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える」(18:17)。
そして自分も、悪い噂の発信者にならないことです。ヨセフは兄たちの悪い噂を父に告げ、兄たちにひどい目に遭わされました。