恵の喜びの予感

主に愛されている平安と喜びから、一日を始めませんか。
 主は、私がもう忘れてしまった過去の祈りを覚えておられて、思わぬ時にかなえてくださったことがあります。心に願ったけれど、祈ることはなかったことを、考えもしない方法でかなえてくださったこともあります。いや、心にふと思ったことはあったかもしれませんが、願いはしなかったことを実現してくださって、驚いたこともありました。
 祈らなくても、主が実現してくださるのなら、祈らなくてもいいのですか。いいえ、だからこそ祈ります。感謝の心で、主の聖さと義を慕い、御計画に沿って祈るのです。
 かつて、私は悲観的な考え方をする人間でした。悪い方に悪い方に想像し、まだ何も起こっていないのに、自分で勝手に最悪の結果を想像し、鬱屈たる気持ちになっていたものです。主は慈しみと憐れみを注いでくださるお方あることはわかっていても、悲観的思考に陥ってしまうのです。
しかし、今はちょっと違います。主の慈しみと恵みを心から信頼しています。思い煩いのスパイラルにはまりそうになったら、「90秒ルール」(170820)を使って、別の楽しいや建設的な思考に切り替えていきます。キリストが語られたとおり、「汝らのうち、誰が思い煩いて身の丈一尺を加え得んや。・・・まず神の國と神の義とを求めよ、然(しか)らばすべてこれらの物は汝らに加えらるべし。この故に明日のことを思い煩うな、明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり」(マタイ6:27、33、34)です。
単に楽天的、能天気になったというのではありません。最悪の事態もちゃんとシミュレーションしておきます。「しかし、そうなっても私は大丈夫だ。そのときは、こうしよう。地獄に落ちるわけではない」と考えて、それで打ち切りにし、主の平安を得るのです。
このように、いつも神の国(永遠のいのち)の平安と喜びに立ち返ります。そして、主の恵みが思いがけない形になって現れる喜びを予感し、今日の一日を始めるのです。
「それでも、悪いことが起こったらどうするの?」。だから、「明日(先)のことは思い患うな」です。そのときは、また主に信頼すればいいのです。