宗教改革501年

今月31日はマルティン・ルターの宗教改革501年目の記念日です。
 もう一度、宗教改革の土台となったパウロの「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」(ローマ書3:24)という言葉を暗唱しましょう。これを復唱することは、常に主の恵みに立ち返るためにも大切です。また、「聖書のみ」「信仰義認」「万人祭司」という宗教改革の三原則も確認しておきましょう。
 ところで、ルターは、「人は三度の改心を経験する」と語っています。それは「頭の改心、心の改心、そして財布の改心である。残念なことに、三つ同時には経験しない」。
 「頭の改心」とは、聖書の世界の知的理解です。神の言葉を学び、それに同意することで起こる、視点、発想、倫理観、価値観などの変革です。これはとても大切なことです。しかし、「頭の回心」だけでは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして」主を愛し、主に従うことになりません。
次の段階は、「心の回心」、魂の変革です。これを経験した人は、罪と義に対する霊的洞察力が高まり、感じ方、生き方が変わります。神の言葉が暮らしの中に定着し、主を礼拝し、愛することが喜びとなり、生きがいとなります。
すでに、頭も心も主に捧げたという方は多いでしょう。それはまさに神の恵みです。
しかし、頭と心が回心しても、容易でないのが「財布の回心」だというのです。クリスチャンでも、「最終的に頼りになるのはお金だ」と思いが根強く残っています。「主が私のすべてだ」と頭でも心でもわかっていても、「財布」だけは自分の支配下に置いて、「財布」に仕えてしまうのです。キリストは言われました。
 「誰も二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません」(マタ 6:24)。 
「財布」はもともと主のものです。「財布」を主にお委ねしてみませんか。主が出し入れしてくださると思います。
宗教改革の真髄は、生活のすべての領域で、主の恵みを回復し、恵みで生きることにあります。