空論(その2)シュラム師の講演会

先週、ヨセフ・シュラム師の講演会(「シオンとの架け橋」主催)に参加しました。シュラム師はユダヤ人ですが、イエシュア(イエス)がメシアであることを世界に伝えています。師は、Netivyah(ネティブヤ「主の道」の意)という団体を主宰し、ユダヤ人とクリスチャンの関係の回復と理解の架け橋となることをビジョンとしています。
今回の講演のテーマは「終末論の危険性と重要性」でした。ユダヤ人のシュラム師には、欧米キリスト教神学の終末論は実に不可解なようで、特に三つの千年王国説などは憶測の産物でであり空論(speculation)にすぎない、と一刀両断でした。キリスト教会の教団教派や神学校が、そして神学者や牧師が、無千年王国説、後千年王国説、前千年王国説の三つに分かれ、論争、対立、分裂しているありさまは滑稽でしかないようです(その三つの中でも細部の解釈は分かれる)。
 終わりの時代に現れるという「反キリスト」についても、『I&Ⅱヨハネの手紙』に4回出てくるだけなのに、「反キリストとはだれそれのことだ」などと、よくもまあ推測でいろんな説を作り出すものだと、あきれ顔でした。「反キリスト」とは「御父と御子を否定する者」(I ヨハネ2:23 )のことです。であれば、数え切れないほどいるわけであり、実際、大勢現れているのです(同18)。
 聖書には、はっきり書いてないのに、あるいは、わずかな言及しかないのに、原語分析や哲学や科学の知識を織り交ぜて、いろんな解釈や説(セオリー)を作り出すのが、欧米神学は好きです。しかし、そんな説はみな空論です。聖書(ヘブライ文化)は空論を嫌います。生活の中で、実践、実験、体験、現実化できなければ、無意味です。
 ならば、なぜ聖書に「終わりの日」「主の怒りの日」「神の国の完成」の出来事が予告されているのか。それは、その時代時代の人々に警告を発し、「終わりの日」に備えて、今の生活を一新するように導くためです。決して、説を作って議論し合うためではないのです。