素読をしよう

詩篇1:2、3 「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」 
申命記6:7 「あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。」
 老荘思想研究者の田口佳史氏によると、江戸時代までは、読書とは口に出して読むことであり、黙読が主流になったのは明治になってからだそうです。氏は、素読の大切さを唱えています。声に出して読むことで、日常会話のくだけた言語とは異なる次元の言葉を心に刻み込むことになります。目だけではなく、声に出し、耳に響かせて読む、つまり目と耳で読むことが、「聡明」につながるのです。江戸期は、3歳のときから、早朝に、家族と一緒に素読をしたそうです。意味が十分わからずとも、反復・復誦することで、ことばの響きとリズムが心にとどまります。それを15歳までは続けます。意味は成長とともに理解できるようになります。そうして日本人のたましいを育て上げたのです。
 素読は聖書が勧める方法でもあります。江戸時代に素読の対象になったのは、『論語』や『孟子』など儒教の書でしたが、神の民イスラエルは三千年以上前から、「神の言葉」を朗読し、素読して来ました。すなわち、「口ずさむ」「唱える」「読み聞かせる」「歌う」「口で告白する」ことをしてきました。イスラエルの子らは幼い時から、トーラー(モーセ五書)を何度も声に出して復誦することで、御言葉を覚えたのです。それがユダヤ人を聡明にしたといわれます。
 聖書の素読をお勧めします。特に、子供の時から習慣づけましょう。短くてもいいのです。三度は復誦させましょう。できたら、ほめてください。それを続ける子は、「神の人」に成長するでしょう。大人が子供に教えられるようになります。
私は、今年、新約聖書の素読を続けてきて、終わりに近づいています。黙読より発見があります。頭の老化のブレーキをかけていると思っています。ぜひ今日からでも始めてください。