木に学ぶ

早川謙之輔さんの『木に学ぶ』という本の中に、こんな文がありました。

「木は生きている部分と死んだ部分がある。木部が死ぬと心材となり、師部が死ぬと樹皮になる。心材は細胞が樹皮やタンニンで埋められることによって防虫、防腐の力を持つ。若い辺材は養分を多く含むため弱くて不安定だが、心材は強くて安定している。心材は切られて木材となることで、木そのものの生命より長く生きることができる。樹皮も昆虫などの外敵から木を守る役割を果たしている」。

 木の死んだ部分が、木を強くし、腐敗や外敵から守る上で役に立っているのですね。若い部分がどんどん生長するために、古い部分が死んで堅くなり、全体を支える役割を果たすのです。つまり、古い部分が死なないと木は太く、高くならないわけです。

古い部分が死なないと、堅く強くなれないというのは、私たちもそうではありませんか。私たちの「古い人」は死んで、「新しい人」が生まれ、日々新しくされ、キリストに似た者にされていくのが、キリストを信じる者の人生です。

「あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです」(コロサイ3・9、10)。

忌まわしい出来事や苦い失敗も、すべて過去のものとなり、それがいわば「心材」のようになって私たちの「新しい人」を強固に安定させ、罪に対する「防虫、防腐」の役割も果たすようになります。これから体験するかもしれない悲しみや苦しみも、クリスチャンにとっては次々と「心材」になっていきます。「古い自分」を生かしておいてはなりません。キリストともに十字架につけ、「年輪」として過去のものにしていきましょう。