聖書と科学

『ホーキング、未来を語る』(SB文庫)によると、2000年に発表された科学論文は90万編(100年前は9000編)。およそ1日2500編、1分45秒に1編で、もはや誰もそのすべてを把握することはできません。自分の専門分野の論文だけでも読みきれないと、ホーキングも語っています。

 科学の真理は毎年のように変わります。たとえば、長らく「宇宙には始まりがない。時間は宇宙の存在に関係なくある」とされてきましたが、1968年、それを覆す論文が発表され、世界には起源があることが新たな科学的真理となりました。「神による天地創造を信じている宗教リーダーたちは、科学的証拠が得られたとして大喜びした」(同書)そうです。しかし、その後も続く物理学の理論は、必ずしも聖書と合っているわけではありません。宇宙は複数の歴史を持つ、宇宙は自己完結していて、初めも終わりも必要ない、その起源に創造神を必要としない・・・など、いろいろ論じられています。

 でも、どのような説が掲げられようとも、いちいち「科学の説明が聖書に近づいた」「遠のいた」と一喜一憂する必要はありません。現代の科学者が100年前とは全く違うことを唱えているように、100年後の科学者も今とは全く異なる説を掲げていることは間違いありません。私たちは300年も1000年も生きているわけではありません。人類が存続する限り科学は続くでしょうが、完結はしません。しかし、私たちは死んで人生を終えるのです。たとえ科学が永遠不変の真理に到達する日があったとしても、待ちきれません。

しかし、神の言葉は何千年前から同じであり、何千後も変わりません。私は、私の死後に変わってしまう科学的真理や思想に、自分のたましいを託すわけにはいきません。肉の体のことについては科学を利用しても、自分のたましいを委ねられるのは、永遠不変の聖書の言葉だけです(科学は楽しいですが、聖書の学びは日々怠らないようにしましょう)。