先週、国際天文学連合会議で、太陽系惑星から冥王星を除外し、8個にすることが決定されました。太陽系惑星とは、(1)太陽の周りを回り(2)自己の重力で球形となった天体で(3)軌道上に他の天体(衛星を除く)がないことと定義され、冥王星は、細長い軌道の一部が海王星と重なり、他の8惑星の公転面に対して大きく傾いているのだそうです。
松井孝典東大教授(惑星科学)が、これで惑星の定義がシンプルになって理解しやすくなったとコメントしていましたが、「学問とは、人間の頭の構造に収まるように、この世界のすべての現象を定義することなんだなあ」とあらためて思わされました。それは、アダムがすべての生き物に「名前」をつけて管理して以来(創世記2章)、人類が営々と行ってきたことです。
定義するとは、要するに線引きをして区別することです。それが人間知性の営みです。宇宙自然や人類社会のすべての現象に線引きをして、それを知識として人類の頭に収納しているわけです。そして、その線引きを子供たちに学校で教え込み、人類の一員に認定するのです。現代の大人は、「20世紀の人類が作り上げた線引き」を学校で叩き込まれた「20世紀の申し子」です。その線引きで、21世紀の人間は社会を建て上げ、自分の人生を生きることになります。
ところで、惑星に関する学校教科書の記述変更は、日本の場合、2008年以降だそうです。「惑星は8つ」が、しばらくは21世紀の地球人の常識になります。しかし、冥王星のほうは、21世紀の人類がどのように決めようと、なんのはばかりもなく、独自の軌道を人類文明の寿命を越えて回り続けることでしょう。「8つの惑星は、みんな大きく傾いて回っているなあ」とうそぶきながら。世界の学者たちが一堂に会しても、宇宙は何も変わらないのです。
私たちも、21世紀の人類による線引きとは無関係に、冥王星のような思いで、「永遠不変の軌道」を生きたいですね。