苦痛様一行歓迎

 献血をなさったことがありますか。厚労省によると、献血者は昨年までの10年間で約15%減少し、中でも16〜29歳の若年層は285万人から177万人に落ち込んだとのことです。未経験者の献血しない理由(複数回答)は、「針を刺すのが痛くて嫌だから」が29%、次いで「なんとなく不安だから」が28%、「健康上できないと思ったから」と「恐怖心」が23%でした。痛い、不安、恐怖が献血を回避させているんですね。

 全般的に社会は、苦痛を避けて通る傾向があります。健康でも、自分で荷物を持つのも苦痛、階段を上がるのも苦痛、立つのも苦痛、ドアを開けるのも苦痛としか思えない現象を、町に出れば見かけます。空気中の二酸化炭素削減に消極的なのも、生活に苦痛が増えるからです。お金のムダ使いも、苦痛を避けるためです。痛くない注射の開発は、苦痛回避の典型です(蚊をモデルにしたそうです)。社会から一切の苦痛を取り除こうという魂胆が見えてきます。しかし、苦痛をなくせば、わずかな苦痛にも耐えられない人間を作り出すことになると危惧します。

痛みは辛いですが、避けて通れない痛みはあえて正面から受けるべきです。愛や希望や信仰のために避けるべきではない痛みは、率先して味わうべきです。そうした苦痛は耐えられるものです。苦しみは人を鍛えます。苦痛のない訓練はなく、苦痛に耐えずして成長はありません。スポーツ選手が苦痛を課さずに勝利の快感を味わうことがないのと同じです。苦しみに耐えた者には、苦しんだ者にしかわからない祝福があります。それゆえ、聖書もこう語ります。「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119・71)。
苦痛に逃げ腰になってはなりません。せっかくの苦痛の意味がなくなります。