登山の目的

10年ほど前、家族5人で富士山登山に挑戦したことがあります。長男、次男と次々脱落し、最終的に登頂したのは私だけでした。日本一の山に登ったこと、父親の威厳を守ったことで、晴れ晴れとした気持ちになりました。しかし、下山のとき両膝を痛め、歩行困難になってしまいました。立っていることさえも辛く、ロープにすがり、激痛に耐えつつ、すべるようにしながら下っていきました。もう自力下山は無理ではないかと、泣きたい思いでした。見かねた登山者たちが、「大丈夫ですか。救急隊を呼びましょうか」と声かけてくださいましたが、なぜか微笑しながら「大丈夫です」と答えてしまうんですね。いやな習慣です。なんとか降りるには降りたのですが、どうやって降りたのかは記憶がありません。

それ以降も、山に登るたびに下山に苦しめられました。一度は転んで岩に額を打ちつけたこともありました。

さて、毎日新聞(1102)に「山で遭難する中高年が後を絶たない。死者・行方不明者の約9割が40歳以上」という記事がありました。そこに登山家で医師の原眞さん(70)のこんな言葉が紹介されていました。「登山の本来の目的は下山。それが一番難しい」「頂上に登ることしか考えず、吹雪など過酷な場面に直面すると、下山の判断も、考える力もなくす」。

登山の最終目的は下山。名言です。下山できない登山は死です。同じことが他のことでも言えますね。たとえば飛行機も、最終ゴールは飛行ではなく着陸です。着陸のない飛行は墜落です。人生も、降りることを考えて、頂点をきわめなければなりません。高い目標を目指すことは大切ですが、へりくだることを心得ておくべきです。達成しても、高慢になれば、すべてを失います。多くの人がそれで失敗するのです。

 「なぜ山に登るのか」。「そこに山があるからだ」とジョージ・マロリーは答えました。しかし、正解は「下山するためだ」と訂正したいと思います。