気配を感じさせる人に

「気配を感じさせない人」が増えています。視覚障害者のこんな話を聞きました。駅のホームで並ぼうとするとき、並んでいる人の列の気配を感じ取って乗り口を見つけるのですが、最近はホームでその気配がしなくなったというのです。柱の後ろに並んでしまったこともあるそうです。人は柱よりも存在感がなくなっているのでしょうか。

 なぜ気配を感じさせないのか。それは周囲の人に関心を寄せないからです。街中にあっても電車に乗っても、目に見えない壁を作って自分だけの世界に没頭するので、自分もいない、人もいない状態になるわけです。互いが互いに無関心な社会になっているんですね。

昔、一人の盲人が闇夜に提灯をぶら下げて歩いていました。道で出会った人が、「目が見えないのに、何のために提灯をぶら下げているのか」と笑いました。盲人は答えました。「目明きの人が私の存在に気付くためですよ。」彼は自分のためではなく、通り過ぎる人のために、わざわざ灯りを持ち歩いていたのですね。

私たちクリスチャンは「世の光」として、キリストの存在感を示すべく、闇の世に立たされています。そのことをもっと意識して、周囲を見てみませんか。そして、構えないで、小さなことから始めましょう。街角や駅や電車の中で、道案内や席譲りなど、自分が助けられそうな状況があれば、喜んでそうする心構えをしましょう。また、相手からも呼び止めやすいように、「喜んで助けたがっている」という雰囲気を全身から出していましょう。買い物や外食をする時は、店員に今までよりも笑顔で快活な挨拶をし、少しでも感謝すべきことを見つけて「ありがとう」と言いましょう。「ありがとう」の言葉は、どんなに人の心を暖かくすることか。無言で無表情だけは絶対に避けましょう。

私たちは、暗闇でも「気配を感じさせる人」になろうではありませんか。