中高生の3割は「携帯メールの返事がすぐ届かないと不安」、6割は「メールが届いたらすぐ返事する」。だから、携帯は肌身離さず、「風呂やトイレにも持っていく」という若者が多いのだそうです。中には、「着信音の幻聴が聞こえる」「電池が少なくなったり、圏外に出たりすると不安になる」「充電器は日頃から持ち歩く」人もいます。一度携帯を水で濡らして以来、雨が降るとまず携帯が濡れるのではないかと思ってしまうという女子大生もいました。また、「すぐに返事しないと友達に怒られる。もう疲れた」と、アドレスを変更した大学生もいました。こういうのを、ケー中(携帯中毒)と呼び習わすようです(日経061129夕刊から)。
便利で使い始めたはずなのに、逆に使い回されるのです。文明人は、どうしてこう、自分が作ったものに振り回されてしまうのでしょうか。
気分転換のつもりで始めたゲームに振り回される。賢くなろうと習得した知識に振り回される。「便利だ、生活を豊かにする」と思った電気製品(特にテレビ)に縛られ、車に走り回され、コンピュータにバーチャルな世界に引きずり込まれる。幸せを求めたはずの結婚に振り回され、子供に駆けずりまわされる。落ち着くために購入した家のローンの返済のために、生活が乱される・・・まるで「尻尾が犬を振り回している」(韓国の俗諺)ようです。
もし「尻尾」に振り回されているなら、まず止まりましょう。そして、乱雑に散らばってしまった人生をまとめなおしませんか。「命が生きている」生活を取り戻しませんか。主を見上げましょう。「落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30・15)のです。自分の生活全体を一点に集約させて、あなたがコントロールできるようになります。まずあなたが聖霊にコントロールされることを求めましょう。