水素と酸素で水に

 常温で、気体の水素と酸素が化合すれば、液体の水になります。小学校で習うので、最初から当たり前のように思い込んでいますが、よく考えれば不思議なことだと思いませんか。水の中のどこにも、水素や酸素の性質は潜んでいません。お茶に柚子の汁を垂らせば「あら、このお茶、柚子のいい香りがする」などと言いますが、「この水の味、水素っぽい軽さがあるね」などとは言いません。質的に全く別の物になってしまうのです。

 もう一つ例を。ナトリウムという物質は、口に入れればぬるぬると舌が融けます。塩素ガスを吸えば、人はたちまち死んでしまいます。しかし、その二つが化合すれば、安全無害な塩化ナトリウム、つまり食塩になります。料理にも体にもなくてはならないものです。

 ただ水素と酸素を混合させても、それで水になるわけではありません。燃焼によって化合しなければならないのです。色んなものが「混合」していても、何の関係も持たずバラバラであれば、そのままですが、「化合」して一つになれば、予測もしない全く性質の違ったものになってしまうのです。

 創造主は、そのように物質世界を創造されました。私は、人間の心もそのように造られていると信じます。

 人間の知識と力では、山を動かせません。しかし、私たちの心が信仰によって「燃焼」して神の言葉と「化合」すれば、全く質の異なる力を生み出し、山は動きます。「だれでも、この山に向かって『動いて、海にはいれ』と言って、心の中で疑わず、ただ自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」(マタイ11・23)という主の言葉が体験できます。ただ、自分の知識と力に御言葉を「混合」させている程度では、大したことは起きません。どんなにそれらを心に蓄えても、信仰を働かせて「燃焼」させなければ、神の力にはならないのです。信仰の祈りこそは燃焼の力です。