NHK正月番組「五木寛之と塩野七生の対談」を見ました。二人とも、相対主義、多神教の信奉者で、塩野さんは、特に多神教の古代ローマ人が大好きという人です。ローマ帝国は、地中海地帯の諸国諸民族を征服したが、宗教的には非常に寛大で、諸民族の神々を受け入れていったからです。また、「一神教の絶対神は人間にこれこれせよと命じるが、多神教の神々は人間が自ら目標を立て努力していることをサポートしてくれる。多神教が平和を造る」と主張されていました。日本では、耳にたこができるほど聞かされる議論です。
でも変です。ならば、なぜローマ帝国は、300年近くに渡って、無抵抗なクリスチャンを残虐なまでに迫害し続けたのでしょうか。なぜ、キリスト教だけは寛大に扱わなかったのでしょうか。それは、クリスチャンは唯一絶対の神を信じ、皇帝崇拝をしなかったからです。ローマ人は唯一絶対の神を嫌いました。それは自分たち人間が絶対だからです。キリスト教は唯一神を絶対視し、人間を絶対視はしません。一方、ローマは神を絶対視はしないが、人間を絶対視します。キリスト教では絶対神が人間を裁きますが、多神教では、絶対者である人間が神を裁くのです。絶対者である人間は、他の絶対者(唯一神)の存在が許せません。逆に、絶対者である神は、自己を絶対視する人間を許しません。
多神教が人間中心主義であることは、「神々は人間の努力をサポートしてくれる」という塩野さんの表現でもわかります。神々は人間に奉仕すべき存在なのです。人間が神々の上に立ちます。人間の役に立つかどうかで、神々を取捨選択します。人間の上に立つ絶対神などは、絶対に許せません。それが塩野さんの神観です。
つまるところ、多神教では、人間自身が頂点に立つ神なのです。サタンは最初の人類アダムとエバに、「善悪を知る木の実を食べれば、神のようになれる」と約束しましたが、その約束が古代ローマや日本では見事に成就しているわけです。
私たちは、多神教の環境にあっても迫害を恐れず、自分のキリスト信仰を明らかにしていきましょう。