「駐輪禁止」の看板などどこ吹く風の自転車の列。
「禁煙」の表示なぞに私の自由を奪わせないぞと堂々の喫煙。
「携帯電話での通話はご遠慮ください」などまるで聞こえない電車内おしゃべり
「前向き駐車でエンジンを切ってください」にも平気の後ろ向きアイドリング。
大相撲で横綱が敗れて、「座布団は投げないでください」のアナウンスなど関係なしに座布団の乱れ飛び。
世の中、警告や注意を無視する人たちがなんと多いことでしょうか。彼らは、不思議なほどに、見ない、聞かないのです。この世のことでも、「見る目、聞く耳、悟る心」を持たないとしたら、霊的な世界などなおさらでしょう。
主イエスはこう嘆じられます。
「あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう」(ヨハネ3・12)。
あなたの心は「悟る心」ですか。目は、見える目ですか。耳は、聞こえる耳ですか。主の警告に無頓着になっていませんか。主の恵みと祝福に気が付かぬまま、不平不満を言っていませんか。鈍感な心ではサタンにしてやられます。
「聞く耳と、見る目とは、二つとも主が造られたもの」(箴言20・12)。
「しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった」(申命記29・4)。
「彼らは反逆の家だから、見る目があるのに見ず、聞く耳があるのに聞こうとしない」(エゼキエル12・2)。
イエスは言われました。「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4・9)。聞く耳のある人は幸いです。