復活を今生きる

人間は古代から、不死、復活、永遠性を求めてきました。

秦の始皇帝は不老不死の秘薬や秘術を求め、徐福という人物を蓬莱の国に遣わしましたし、エジプト人も、死体をミイラにして現世へのよみがえりを期待しました。現代は、クローン技術が、一種の「永遠性」を求める手段だと言えるかもしれません。

人間の最大の敵は死です。人間は死を恐れます。「死にたくない」。それが普通の感情です。人間は死を恐れるように本能が仕組まれているのです。それは、人が自ずから死の克服を求めるようになり、そして命の主キリストに出会うことになるためです。

ところが今、少なからぬ人々が、「永遠に生きたいとは思わない。このまま消滅してしまうほうがいい」と考えているようです。人間であることに絶望していて、「復活」「永遠のいのち」と聞いても、心が躍りません。「人間として存在し続けることに、いったい何の喜びがあるのか」という人もいます。実は、それこそが、死んだ状態の一つの症状です。

 「復活」を説く前に、まず、人間存在の素晴らしさや、今を生きることの喜びを回復しなければならないのかもしれません。でなければ、復活したいなどと思わないでしょう。

 でも実は、「復活」は死後のためだけではなく、今、人間として生かされていることを喜び楽しむためのものです。キリストの復活の力は、地上の生と死を超えて、両方に「いのち」の希望と意味をもたらします。「復活」は死後の勝利だけではなく、今の勝利でもあります。死後の勝利だけなら、早く世を去ったほうがいいのです。しかし、復活信仰は、今を生きることに意味と希望を回復します。主の復活を信じる者には、今の世も死後も、関係ありません。同じ永遠のいのちで生き続けます。復活は今味わえるし、日々味わうべきものです。復活信仰とは、いのちの主が今の私を生きてくださることなのですから。