スイスの高級時計は、日本のクオーツ時計に押されて低迷し、1990年頃までに多くの会社が倒産しました。しかし、スイスの時計業界は屈しませんでした。伝統の精密なぜんまい時計の技術者を忍耐強く育て続け、かつての勢いを回復して、今日、1兆3千億の産業となっています。人間の目で100分の3mmまで、ぜんまいの調整ができるのだそうです。
日本のぜんまい時計の技術者は、かろうじて東北の会社に一人残っているのみで、今や人間国宝級の存在です。その人は100分の2mmまで調整できるそうで、スイスより上だという自負はありますが、跡を継ぐ者はほとんどいません。
春が必ず来ることを信じて、「冬」をどのように耐え抜くかが問われます。枯れた枝を見てあきらめ、切り倒してはならないのです。植物にとって、冬という季節は不可欠です。冬がなければ、樹木は春が来ても花をつけません。しかも、寒い冬でなければなりません。九州南部では、亜熱帯化が進み、暦は春になっても、桜が花を咲かせなくなると危惧されています。私たちの人生にも「冬」があります。それは重苦しく、辛い時ですが、成長のために必要な期間でもあります。ですから、「冬」を喜ぶべきです。「冬」から逃げてはなりません。泣きながらでも、「冬」と正面から向かい合う人が実を結びます。
たとえ切り倒された木の切り株からでも、再び芽が出て枝を出し、新たな幹となって実を結びます。時間はかかりますが、忍耐強く待ち続ければ、実を結ぶ日が来ます。創造主なる神は、私たちを成長させて、実を結ばせるように計画されているのです。
ただ、心の中で奇跡を願うだけで、何もしないのは、信仰ではありません。主は、私たちが祈り、御言葉を学び、実行に移すのを待っておられます。汗を流し、ときに涙を流し、黙々と主の時を待ち望みましょう。