エジプトとローマ

<教会はどこに力を注ぐか>

  韓国サラン教会の週報(070610)に、呉正賢(オ・ジョンヒョン)牧師が「モニュメントかムーブメントか」という一文を書いておられました。――古代エジプトの王たちは、ピラミッドという巨大なモニュメント(記念碑)を残した。その建設のために、莫大な費用と年数をかけ、多くの労働者を動員したが、それでエジプトの国力が増大したわけではなかった。しかし、古代ローマ帝国の為政者たちは違った。彼らは、上下水道や、「すべての道はローマに通ず」といわれた舗装道路などのインフラ(下部構造)整備に力を注いだ。それが国力の増強安定に寄与することになった。ローマ帝国が歴史上、最も繁栄し、長く続いた理由でもある。彼らは歴史の動き、文化の流れ、ムーブメントを起こした――というのです。

  これは教会にとっても大切な教訓であると思います。

1.聖書における記念碑と古代エジプトの記念碑の違い

  まず、記念碑造りについて考えたいと思いますが、聖書の人々は記念碑造りをしたでしょうか。答えはイエスです。旧約聖書では、族長たちやモーセ、ヨシュアらが、主なる神と出会った場所で記念碑を造っています。しかし、それは古代エジプトのそれとは、まったく性質の異なるものです。聖書の記念碑は、

?人間個人や民族の偉業・栄光を残すためのものではなく、イスラエルの神の偉大な力と愛を記念し、それを子々孫々まで伝えるためのものでした。

?極めてシンプルで、造作もなく数時間で築けるようなものばかりでした。たとえば、ヨシュアに率いられたイスラエルが、堰き止められたヨルダン川を渡ったとき、川から12の石を運んで宿営に据えています(ヨシュア4章)。ただそれだけです。

?建造物だけでなく、祭り(過越など)や儀式(洗礼、聖餐)など多様です。

私たち教会は聖書にならい、キリストの記念のために愛と力を尽くします。しかし、古代エジプトのように、人間の栄光のために、自己顕示的で、的外れで、無意味な「記念碑造り」には、時間やお金や労力を注ぎません。

2.古代ローマのインフラ整備に学ぶ

 エジプトやバビロンなど、古代の王や独裁者は、自分の偉大さを誇示する巨大な記念碑を建造しましたが、ローマ帝国は違っていました。彼らは大規模な墳墓、塔、像、庭園などに、時間や財を浪費していません。社会の基礎を支えるインフラ整備に力を注ぎました。それがローマ帝国を強大にし、長く繁栄させることになりました。

  私たち教会も、この点においてはローマに倣い、最も基礎的なことに力を注ぎたいと思います。教会のインフラとは何か。それは、「人」です。クリスチャンが霊的に育つことが、教会の力です。

  建物も大切ですが、そこに集う人が信仰で十分武装していなければ、何の役にも立ちません。組織が整えられても、その中で動く人が聖霊に満たされていなければ、機能しません。プログラムが充実していても、そこで働く人が御言葉と祈りに裏打ちされていなければ、単なるイベントになってしまいます。兄弟姉妹が豊かに交わり、一つになることは大切ですが、その前にまず、主と個人的に交わっていなければ、ただの社交に過ぎなくなります。

  年齢や信仰年数に関係なく、個人的にキリストと出会い、御言葉で訓練され、聖霊の賜物をいただき、日々の祈りによって成長を遂げていかなければ、それ以外のところで、どんなに時間と努力とお金を注ぎ込んでも、教会は力を発揮できません。教会の力とは頭なるキリストです。そのキリストを私たちがどれだけ知り、訓練され、心を一つにしているかが、教会の実力です。つまり、「キリスト実現」の度合いです。

  まず、主を賛美する祈りをしましょう。聖書を開きましょう。自分の人生の土台であるキリストと出会いましょう。そうして個人の信仰が成長することが、教会の土台です。