沖縄では、青少年の犯罪行為はもちろん、それにつながる可能性のあることを、目撃していても「見て見ぬふり」をする人に、罰則を設けることになったそうです。
例えば、家出した青少年が一つの家庭に入り浸り、「たまり場」となる状況を保護者が黙認した場合や、酒・たばこの販売業者が確認せずに未成年に販売した場合、さらに万引の要因でもある古書を青少年から買い取った場合などです。悪を見ても見ぬふりをして、警告もせず、止めもせず、何もしなかったら、責任が問われるのです。それを「不作為の責任」といいます。
聖書にも、同様の戒めがあります。
Iサムエル記では、祭司エリが息子たちの悪事を見過ごしたことに対する主の裁きが、少年サムエルに告げられています。「わたしは彼(エリ)の家を永遠に裁くと彼に告げた。それは自分の息子たちが、みずから呪いを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のためだ」(3・13)。
預言者エゼキエルは、主から厳しい務めを受けます。「わたしが悪者に、『悪者よ。あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もし、あなたがその悪者にその道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分の咎のために死ぬ。そしてわたしは彼の血の責任をあなたに問う」(エゼキエル33・8)。
私たちは、キリストの福音を知っています。キリストを信じなければどうなるかもわかっています。いつも接する人たちのことを思い、福音を伝える機会を主が用意してくださるように祈り、伝える勇気を持ちたいと思います。主に「不作為の責任」を問われないように。