あなたを愛している

 Aさんは20代の初めに難病を患い、以来何度も入退院を繰り返してきました。今回もすでに5ヶ月に及ぶ入院になります。その彼女が最近語った証しを紹介します・・・

  「ここ4日間、私は悲しくて沈んでいた。聖書を読む気にも、祈る気にもなれなかった。

 2週間ほど前、御言葉カードをいただいた・・『あなたはわたしの目には高価で尊い。私はあなたを愛している』(イザヤ43・4)。何度も聞いて知ってはいても、自分に語られている言葉とは感じられなかった。私は、網に入ったたくさんの魚の一匹としか思えなかった。

  それで、神の愛を個人的にわからせてくださいと祈り求めた。すると、2日ほど前、ひとりの人が私の前に現れた。私はその人の顔を正面からはっきり見たが、今まで会ったことのある人ではなかった。その人は私に、『愛している』と告げた。私は、その瞬間、神様が私を愛してくださっていることが、はっきりとわかった。神様は、そのイザヤ書の御言葉を目に見えさせてくださったのだ。

  そして考えた。なぜ4日間悲しみ沈んでいたんだろう。すると幼児期のことが思い起こされた。

  母は朝早くから遅くまで働いていたので、私は保育園に預けられた。朝は先生よりも早く、夜は一番最後のお迎えだった。寂しかった。そんなある日、先生たちが、子供たちに母親の手作りのプレゼントを配った。『これはOOちゃんのお母さんが作ったものです』。みんな違う形、色、デザインだった。でも、私は自分のものが気に入らなかった。隣の子のはとても可愛くて、私の好みだった。

  そんな思い出がヒントになって、私はいま、自分に与えられたものが自分の欲するものではないことに苛立ち、落ち込んでいるのだと気が付いた。

  もし母がプレゼントを作っているのを側にいて見ていたら、私はそれを喜んだに違いない。母は私のことを思い、私の喜ぶものを作っているからだ。たとえ、それが私の好みではなかったとしても、私は嬉しかったに違いない。母が私のことを思って選び、作ってくれているのだから・・・」

  そんな風に、神様は彼女を愛して、彼女の人生を作ってくださったのです。彼女は、入院して通常の300倍の薬を投与された苦しい日、家で独り待つお母さんに電話して、こう告げました。「お母さん、私を生んでくれてありがとう。寂しい思いをさせてごめんなさい」。お母さんは涙して、「私の不注意で病気になってしまって、ごめんね」と言われたそうです(お母さんの不注意でかかる病気ではないのですが)。
「神様は私を愛していると、個人的に語ってくださった。それがとても嬉しい」。彼女は、そう証しを締めくくっています。