弱さが誇れるために

主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです(IIコリント12・9、10 先週の信徒礼拝)。

あなたは、自分の弱さや欠乏に現れる神の力と恵みの豊かさを、どれほど体験しておられますか。「私が弱いときにこそ、私は強い」と、弱さを誇れますか。自分の弱さを口癖にすることはあっても、自分の弱さを誇ることは簡単にはできません。誇れるのは、弱さの中に神の力が現れているときだけです。

挫折したり、大病を患ったり、人から拒絶されたり傷つけられたりしても、それでも消沈せず、希望と平安を取り戻し、この後素晴らしいことが待っているという予感が心に染み出して、「主が成し遂げてくださる」という確信が満ちてくる・・・信仰がそれを可能にします・・・そのとき、「私が弱いときにこそ、私は強い」と言えます。

自分の能力や体力や経済力の欠乏を知っていても、それでも失望せず、主の恵みの豊かさが現れるために祈り、行動する・・・信仰がそれを可能にします・・・そのとき「喜んで私の弱さを誇りましょう」と言えます。大切なのは、持っているものが十分あるかではなく、神の力が十分に現れるかどうかです。能力、知識、お金があっても、神の力が発揮されなければ、何の意味もありません。主の栄光のために何の役にも立っていないからです。

私たちが何をどれだけ所有しているかではなく、また、どれだけ自分の力を発揮したかでもなく、どれだけ神の力と恵みが現れたかが重要なのです。ならば、自分の弱さや足らなさを、嘆いたり落胆したりする必要はなくなりますね。「わたしの恵みは、あなたに十分である」という主の言葉を本気で信じ、恵みと力が自分の弱さを通して現れるように祈りましょう。