自分でご破算

建設会社社員が、自分の携わっている内装工事現場に火をつけて、逮捕された。「工事が納期に間に合いそうになく、騒ぎを起こしてうやむやにしようと思った」という(9月13日付け記事)。

私は、この男性の気持ちがわからないではありません。このままではうまくいきそうにもないから、自分で「不慮の出来事」を起こして、すべてをなかったことにしてしまう、そうして責任を回避する、そんな誘惑に駆られたことが、誰でも一度はあるのではないでしょうか。

以前、こんな話を聞きました。
校内の陸上競技代表選手を選ぶ競技会が明日に迫った日、候補の一人が階段を踏み外して捻挫し、出場できなくなりました。でも実は、ライバルには勝てそうにもないと思った生徒の自演の事故でした(本当に捻挫したかは不明)。最後までがんばって負けることを、プライドが許さなかったのです。ライバルを怪我させるよりはいいといえるでしょうか。

断られることで傷つくのを恐れて、途中まで進んだ結婚話を自分で断ってしまう人。落ちることを恐れて、まだ終わっていない試験会場から途中退出してしまう人。体調が悪かったのだ、実力で落ちたのではない、と人に思われるために、そうするのです。

極端な例かもしれません。たいていの人は、そこまではしないでしょう。でも、責任回避のため、自尊心を守るため、まだ、まだ終わっていないのに、自分で終わらせる工作を無意識にしているかもしれません。

主は、どんな局面に陥っても、主に信頼してあきらめず、結果が出るまで全力を尽くして主に委ねる人を見放しません。結果が失敗に終わっても、見放されません。主に信頼したことを評価なさいます。次につながります。決して、ユダのように自分で終止符を打ってはなりません。