うそ発見機

アメリカの最近のニュース。「レストランで火事が起こった。店主自らが放火したと判定され、犯罪者とされてしまった。店主は無罪を勝ち取るため、自分がウソツキではないことを証明しようとした。そこで、従来のウソ発見器よりもはるかに確実さを増したウソ発見法の開発に取り組み、見事に疑いを晴らした。従来のウソ発見器は、それを潜り抜けるウソツキも多かったが、彼の開発したFMRI(脳を調べる方法)なら、95%以上の確率だそうだ。」

ウソを言うと、人間の心は動揺を示します。顔や動作はコントロールできても、心をコントロールするのは至難です。その動揺が機器で測られるというわけです。
でも、考えてみれば、人間の心はウソをつけば動揺するようにできていることはすばらしいことです。ケガをすれば痛いと感じるのと同じです。それは、私たちの目に見えぬ心の内側も、創造主なる神には感知されていることを意味します。ウソは、誰に対してつくにしろ、実は、神に対してついているのです。

自分の生き方にウソを潜ませていると、心は蝕まれ、体も調子を崩し、人間関係もギクシャクすることになります。それは、ウソで、神との関係が壊れているからです。

このように、ウソをつけば心身や人間関係に不具合が生じるのは、私たちが悔い改めに導かれるためです。一つウソをつけば、そのウソのつじつまを合わせるため、次々とウソをついていかなければなりません。ウソの探知感覚が麻痺して、疚しさを感じなくなってしまう前に、ウソは全部清算してしまうべきです。主の前に、ウソで築いた世界があってはなりません。どんなにうまくいっているようでも、一瞬にして崩れる日が来ます。

「正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る」(箴言2・21)。正直なために自分の立場が不利になっても、主がその人の心に平安をもたらされます。正直自体が喜びです。正直が、結局、自分を生かし、人を生かします。