旅人をよくもてなすことで知られるのは、砂漠の民である。厳しい自然にあって、旅人を水や休息を提供することは、古代からの掟なのだろう。私もシナイ山の麓でベドウィンのテントで、ガイドの榊原さんとともに、しばし寒さをしのがせてもらったことがある。
韓国の人々も、コリアン・ホスピタリティ(韓国的もてなし)で知られる。私は韓国と関わって30数年、そのもてなしにたびたび圧倒されてきた。中でも、圧巻は10年前、中学生だった長男と二人旅をした時のことだ。ソウル・キンポ空港に、一度しか会ったことのないバプテスト病院の院長と、初対面の製薬会社の社長さんの出迎えを受け一流ホテルに3泊、ソウル郊外山中でおそらく生涯味わうことはないだろう宮廷料理の饗応という、分不相応なもてなしにあずかった。4日間、多忙な役職の二人がつききりで各所を案内、息子に見せたかった独立記念館にも連れて行ってもらった。帰りは、私たち夫婦にスイスの時計のプレゼントまで渡された。息子には、「どうだ、お父さんは韓国ではすごいだろう」と冗談を言ったが、息子も、日本の名もない牧師親子をここまでもてなして、何の得があるのか、ただただ驚きだったようだ。「日本から略奪を受けた国なのに、こんなによくしてくれる。これがクリスチャンの愛なのだ。忘れてはいけないよ」と、言い残した。
先週、当教会から8人でサラン教会を訪問した。やはり身に余る歓待だった。空港に降りた時から発つ時までの4日間、これでもかこれでもかと、もてなしを受けた。今回が初訪問だった人は、圧倒されたことであろう。
韓国の自然は砂漠の国とは異なり豊かだ。なのに、なぜ旅人をよくもてなすのか。国土は豊かでも、諸外国の侵略という苦難の歴史を負う民族だからだろうか。4回目の独立記念館を見学しながら、ふとそう思った。
パウロが「聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい」(ローマ12・13)と語っている。ソウル在住の植野神学生は、「韓国の教会の人たちは、もてなしたら、もてなした分以上にどこからか満たされいるようですよ」と言った。旅人をもてなす人は主に祝福されるのだ。