堂々たる体つきで、剣術に秀で、顔もいかつく、声も太く、ひげも濃く、いかにも豪傑という武士がいた。人前では豪胆を装っていたが、実は臆病で、夜は一人で便所にも行けなかった。その秘密を知っているのは妻だけ。ある夜、便所の中から、外で待つ妻に言った。「そなたは、怖くないのか」「なんの怖いことがありましょう」「ふうむ、さすがに武士の妻だけのことはある」(笛吹明生著『爆笑!大江戸ジョーク集』から)。
外と内では極端に異なるという話だが、この武士などはかわいい部類だろう。「さすがは(立派な)武士の妻だ」などと自賛する(?)のも、御愛嬌のうちだろう。しかし、笑い事では済ませなれないケースを、テレビや新聞でよく見聞きする。
・外では寛容だが、家族にはすぐキレて、暴力を振るう
・好人物に見られているが、プライベートな付き合いでは実に子どもじみた言動を見せる
・仕事熱心だが、家庭では真夜中までひとり部屋にこもってゲームに没頭するなど、配偶者とほとんど向き合わない。
そんなに極端ではなくても、自分は人に見せているほど、あるいは思われているほど立派ではない、という思いは誰にでもあるだろう。人は自分のありのまま以上に見せたがる。しかし、異なる自分を演じるのは辛いものだ。
キリストは、私たちのそんな裏の闇の部分に光を当てて、表と裏が同じになるようにするために、この世に来られた。私たちは、その光に自分の闇を照らし出せばいいだけだ。そうすれば楽になる。何より、配偶者や家族が平安になる。
クリスマスとは、闇に光が戻ってくる日である。