大島希巳江という英語落語家が、国内外で活躍している。10年ほど前、彼女は国際ユーモア学会で「エスニック(民族特有の)ユーモア」について発表した際、「そもそも日本人にユーモアのセンスなんてあるのか」と欧米の学者らに聞かれたそうだ。そのとき、日本人のユーモアのセンスを伝えようと、英語の落語を思いついたという。文京学院大准教授でもある。先週、京都で講演して、こんなことを語っていた。「笑いは敵を作らず、平和的関係を築く重要な役割を果たしている」「UCバークレーの調査では、一日20分笑うことで、人は大きな病気にはならない、という結果が出ている」(京都新聞071218)。
笑いには緊張をほぐす効果もある。大方の日本人は失敗すると、照れ隠しで笑う習性がある。欧米人などは笑わないという。それゆえ、日本人の照れ隠し笑いを不謹慎だと批判する人もいる。以前、サッカーの国際試合で日本のフォワードの選手がシュートミスをして、笑みを浮かべている顔がテレビに映し出され、国民からの批判が集中したことがあった。しかし、当の選手は日ごろから失敗しても気が動転しないように、笑みを作ることを心がけていたそうだ。他の選手も、あれは心を落ち着かせるための笑いだと弁明していた。高校野球で、投手が連打されてもマウンドで笑みを浮かべているのもそうだ。しかも、相手側に余裕があるように見えさせる。
自分の失敗が人に不利益を与える場合は、笑うべきでない。しかし、くよくよ考えてもどうにもならぬことは、独りで笑って、忘れて、前に進むほうがいい。ユダヤジョークは迫害されるゲットーの中で生まれたそうだ。闇に閉じ込められたときに、生き延びるための力になった。私たちも、生活の中にもう少し笑いを増やしてはどうか。
ドイツには、「復活祭の大笑い」というのがあるのだそうだ。死で敗北して終わったはずのキリストが復活する大勝利を、喜び、大笑いするというのだ。ならば、「クリスマスの大笑い」というのがあってもよさそうだ。闇の中に、大いなる光が来たことをお祝いするのだから。
「そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。『主は彼らのために大いなることをなされた』」(詩篇126・2)。