女三代の信仰

1890(明治23)年ごろ、私の曾祖母は婿取りで迎えた夫を離縁して、乳飲み子の息子を夫につけて丹波の実家に返し、東京に出た。そして銀座教会で大賀一郎という人に出会い、感化を受けて信仰に入り、その人と再婚した。大賀一郎は、縄文土器に残っていたハスの種を咲かせた植物学者で、「大賀ハス」で知られる。それから3、40年後、曾祖母は息子を預けた家に、「幽霊ではありませんよ」と突然帰ってきた。息子(私の祖父)は結婚してすでに二児の父となっていた。私の伯母と父である。祖母は天理教信者であったが、曾祖母の伝道でキリスト教に改宗し、やがて伯母がそのキリスト信仰を受け継ぐことになった。

太平洋戦争で夫を失った伯母は、なんと曾祖母と同じような行動をとった。10歳ほどの息子を丹波の実家に預け、祖父の反対を押し切って、上京したのである。そして東京で再婚し、三人の子をもうけた。子供たちを信仰者に育てた後、夫と離婚し、そして女手一つで保育園と教会を立ち上げた。それからは、信仰一筋の人生だった。

伯母にとって、丹波の実家は、「罪の奴隷の地エジプト」、東京での結婚生活は「荒野の旅」、そして保育園と教会は「約束の地」であった(この女モーセ仕立ての話を何度聞かされたことであろう)。

私が上京して伯母に出会ったのは、すでに「約束の地」時代だった。キリスト以外に怖いもなく、キリストを語りだしたら周囲が見えなくなる、しかし、とても気前のいい信仰者だった。その伯母に録音テープのように同じ話を何度も聞かされて、私のキリスト信仰の第一歩は始まった。そして、伯母の信仰は伯母の子どもたちと家族、私の家族へと広がっていった。

伯母は、晩年の大賀一郎の世話をしたことがある。学者に価値を置かぬ伯母は大胆にも、「なぜ二千年前のハスの種を咲かせることに、人生を費やしたんですか」と聞いた。答えはただひと言、「神の御心じゃよ」だったそうだ。伯母の次世代の親族に信仰の花がいくつも開いたことを思うと、「神の御心じゃよ」という言葉が、意味深く感じられる。

その伯母が、12月26日、忽然と召された。86歳だった。