王家の血筋を引く貴人に、キリスト信者の馬子が仕えていた。馬子は、主人の馬を引いて地方に出かけたとき、思い切って主人にキリストを伝えた。主人は尋ねた。「キリストを信じたら、馬子が両班(貴族)になれるとでもいうのか。」馬子は答えた。「いいえ、そんなことのために、キリストを信じたではありません。信じたら、よき働きをする忠実な馬子になるのです。」貴人はやがて、キリストを信じ、牧師にまでなった。韓国の古き時代の話である(『私は正直者は祝福されると信じる』(キュジャン出版)。
ルカの福音書に出ている話。バプテスマのヨハネのもとに取税人が来て、「私たちはどうすればいいでしょう」と聞いた。ヨハネは「決められたもの以上には取り立ててはならない」と答えた。同じ質問をした兵士たちには、「力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけない。自分の給料で満足しなさい」と諭した(3・12〜14)。
キリストを信じて生きるとは、今、自分の置かれているところで、誠実に主に仕え、忠実に職分を果たし、正しく生きることを喜びとすることである。そうすることで、主の御心であれば、主が新たな道を私たちのために開いてくださる。自分の今の職分を誠実に果たさず、高い地位、目立つ仕事、華やかな役割、影響力のある立場ばかりを求めて、主の栄光を現そうとするのは、主の御心にかなってはいない。
マタイ25章の「タラント」のたとえ話で、2タラント、5タラント受けた人は忠実に働き、それを倍にしたが、1タラントの人はそれを隠しておいたため、召し上げられてしまった。私たちは、自分が受けているタラントに忠実を尽くそう。1タラントでも、忠実に倍にすることを10回繰り返せば1000タラントを越え、20回繰り返せば百万タラントを越える(2の10乗は1024、20乗は1048576)。信仰者が偉大なわざをなせば、人々は驚嘆するが、ただ「タラントの法則」に忠実だっただけなのだと思う。