今週は受難週である。キリストの十字架の苦しみを思い、その苦しみと死によって、永遠の命で生かされている恵みを味わう時としたい。そのために、十字架の意味をはっきり理解しておこう。
?十字架は祭壇であり、主の肉と血は、私たち全人類の罪のための「ただ一度の いけにえ」である(ヘブル9・6〜15、10・5〜18)。
?キリストの体は、私たちが犯した罪に対する神の怒りへの「なだめの供え物」である(レビ4・35、ローマ3・25)
?キリストの死は、私たちの「身代わり」であり、「贖いの代価」である(IIコリント5・21、6・20、7・23、ヘブル9・28)。
?キリストの十字架は、神と罪人との敵対関係に終止符を打つための「和解の犠牲」である(ローマ5・10、11、エペソ2・16、?コリント5・18〜20)
?十字架は、人間を律法の呪いから解放し、罪の奴隷状態から「自由にする身代金」である。
そして、以下のことを心に刻もう。
?神は、罪の代価として独り子を十字架につけなければならないほど、義なる方である
?神が独り子を世に人として送り十字架につけなければならないほど、人間の罪は重い
?独り子キリストの死以外に救いの道はないほど、キリストの死は無限の価値を持つ
?神がこのような究極の犠牲を払われたほどに、人間は神に愛されている。