本気が人を動かす

昨年11月に受洗された栄木じゆうさんが、2月の小平地域集会に見えた。2回目である。その日、体調が優れないため出席をためらっておられたそうだが、会いたいと思っていた方々が一堂に会することをひょんなことから知り、意を決して来られたとのこと。娘の北田さん夫妻と愛犬同伴であった(つまり、一家総出)。

数日後、北田さんからメールが来た。「その夜遅く、母が『心込めてお祈りをさせていただいたことが成就したので、どうしてもその方々にお祝いを申しあげたかった。今日は大変疲れたけど、行って良かった』」と。神様が母の望みを叶える時を備えてくださったと感謝いたしました。その時を逃さなかった母の姿にも学ぶものがありました。今、母の本気のせいで、兄弟姉妹の皆様に助けられながら、少しずつ神様に近づいている気がします。」

私は、「時を逃さなかった母の姿」「母の本気」という言葉に胸が熱くなった。じゆうさんは94歳である。めったに外出されない。しかし、ここぞというときには、思い切ってなさるのだ。年取って体の自由さは減っても、心の自由さは、キリストのゆえに強められておられる。

じゆうさんの本気は、北田夫妻を鍛える。夫人からこんな話を聞いた。じゆうさんは、聖句をパソコンから大きな文字でプリントしてもらって、熱心に読んでおられる。だから、印刷インクがたくさんいる。夜の10時半、そのインクがなくなり、夫妻はじゆうさんのために、まだ開いている店を探し回られた。何件目かに、深夜営業の店を見つけ小躍りして喜んだのもつかの間、合うのがなかった。「失望しましたが、それは神様のご意志。そこで見つかれば私が天狗になり、そこまでしてくれた夫への感謝を忘れてしまうでしょう。そのことを夫に話したら、夫は『時間を無駄にしたと腹を立て怒ったかも知れないけれど、悔いのない行動ができた喜びがある』と言ってくれ、豊かな気持ちになりました。」

 本気の信仰は人を動かし、変えていく。