うそをつかないカーナビ

ワープロを使うようになって、漢字や英単語忘れ出した。そして最近は、カーナビを使うようになって、道を覚えなくなった。カーナビは確かに便利だ。が、ときにウソをつく。地図全体が頭に入っておらず、そして方向感覚がなければ、そのウソが見破れない。

JAFが発行している雑誌が、「英国の古い町々村々の狭い道路に、トラックや外国人旅行者の車がカーナビに誘導されて迷い込み、トラブルを起こしている」というニュースを伝えていた。記者は結論として、「カーナビは、最短のルートは教えるが、最善のルートを教えるわけではない」と教えていた。「最善のルート」を知るのは地元の人か、あるいは道に迷って苦労した経験のある人である。

 現代、人は、平坦で楽な「最短ルート」を探そうとする。一方、聖書は昔から変わらず、「最善のルート」を教えてきた。それは、必ずしも平坦で広い道ではなく、楽な道でもない。「死の陰の谷」の道のようなときもあるかもしれない。しかし、間違いなく「正しいルート」である。「正しいルート」というのは、険しく狭い所があっても、実は最も安全なのである。なぜか。それは「主がともに歩んでくださる」道だからである。
 私たちは、人生の「最善のルート」を知る「地元の人」になろう。迷って苦労しても、「正しい道」を示せるようになろう。そのために、

聖書という「地図」とにらめっこし、自分の人生の全体像を把握しよう。
 聖書の言葉を心に刻み、蓄えよう。
 聖書の言葉を実践し、その力を体験しよう。

 そうすれば、この世が教える知恵に潜むウソが見破れるようにもなる。

 今、険しく狭く辛い道を歩んでおられる方もおられよう。しかし、聖書の教えに従っておられるなら、恐れることはない。見えずとも、主がともに歩んでおられる。やがて抜け出る日が必ず来る。