イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい」と言われた(ルカ5・27)。
イエス様は、社会から関係を断たれた人々に声をかけ、関係を結んでいかれました。取税人レビもその一人です。彼は何もかも捨てて、イエス様に従い、弟子になりました。
日本の社会は、顔の見えない、無機質な通信手段は発達しましたが、その分かえって、心と心の関係を結ぶのが難しくなっているように思われます。
秋葉原無差別殺人を起こした青年は、「不細工な自分」を「女性にもてず、友達が少ない」「無価値。ゴミの方がマシ」といい、「世の中が嫌になった。生活に疲れた」「みんな殺したい」と、エスカレートしていきました。「中学までは成績もスポーツも優秀だったが、県内トップの高校に入ってからはビリ。卒業後は負けっ放しの人生」と述べています。
社会が悪いのか。この社会は、みんなが成功し、金持ちになり、異性にもてるわけではありません。多くが負け、選ばれず、誰かがびりになります。それは、受け入れなければならない現実です。ただ、社会が悪いのは、そうなれば無価値な人間だと思わせていることです。家庭でも学校でも、そのように教育していることが、間違いなのです。
この社会は、人間相互の関係作りの大切さを教えてこなかったと思います。かの青年は、親や友人や会社や社会との関係作りを失敗しています。逆に、親や友人や会社や社会のほうも、彼との関係作りに失敗しています。彼は怠け者ではありません。もし、誰かとの関係が出来上がっていれば、こんな事件を起こさずに生きられたことでしょう。
イエスは、ご自身との関係作りを推し進められます。その関係こそ、最も価値あることだからです。私たちにとっても、人を救いに導く上で大事なのは関係作りです。関係や希望を断つような言葉を心から取り除き、関係作りのための真実な言葉を蓄えませんか。それを必要としている人たちが周囲にいるはずです。