一応努力した、でいいのか

「良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます」(マタイ3・10)。

 厳しい言葉です。

「一応、努力したんだけど、よい実は結べませんでした」では、納得されず、切り倒されて燃やされる、ということです。

高校・大学受験や、何かの資格の取得を目指している人は、「とにかく努力はした」という事実に目標を置いてはいないはずです。目標は合格です。仕事も、「一応やったが、何の成果もなかった。だから仕方がない」というのでは、食べてはいけません。努力したという事実にではなく、実を結ぶことに焦点を合わせて、努力しなければなりません。実を結ぶこと、良い結果を出すことへの真剣さが問われるのです。

信仰生活こそ、真剣さと誠実さが問われます。実を結ぶことを真剣に目指していれば、「一応、祈るには祈った」「一応、聖書を読むには読んだ」「一応、伝道することはした」、それで「仕方がない」では済まさないでしょう。父なる神は、独り子イエスを私たちの罪の身代わりとされたほどに、真剣に私たちを愛されたのです。それに応答する真剣さを持ちたいと思います。

良い実を結びたい。それが教会の願いです。礼拝も、賛美も、弟子訓練も、祈りも学びも、実を結ぶことを目指しています。一応やっている、という程度であってはなりません。

ガリラヤ湖の漁師ペテロは、いつも真剣でした。夜通し働いて、何一つとれずに朝を迎えたときも(ルカ5・5)、イエス様に向かい、「あなたを知らないなどとは言いません」と誓ったときも、真剣でした。失敗はしても、主は、その真剣さに答えてくださいました。

 2008年の後半、良い実を結ぶことを目指しましょう。