15年ぶりのイスラエル訪問でした。押しかける観光客の多さ、そして耳にする言語の多様さに、あらためて驚きました。キリストを慕い、世界中の国々の人々が、四国ほどの広さの国を目指して集まってくることに感慨を覚えました。
2000年前、ベツレヘムでキリストをお生まれになったとき、まず地元の貧しい羊飼いたちが駆けつけました。それを皮切りに、はるばる東方から裕福な博士たちが訪れ、以後、訪問者はユダヤ人、サマリヤ人、ローマ人、シドン人へと広がっていきました。そして、キリストの死後は、世界中の人々を引き付けることになったのです。ベツレヘムの聖誕教会、エルサレムの聖墳墓教会に入り乱れる多様な民族の訪問者・巡礼者を見ていると、「いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地あるものがこの方にあって、一つに集められる」(エペソ1・10)日のことが髣髴と思い浮ぶようでした。
エルサレムはイスラエル人の都というより、まさに全世界の都です。神がご自分の町とされた「神の都」「聖なる町」です。
しかし、キリストを捜し求めたのは、キリストを慕う者ばかりではありません。キリストの生誕のとき、ヘロデ大王は幼子イエスを殺そうと躍起になりました。ユダヤの宗教指導者たちも、キリストを殺そうとしてキリストのもとに集まりました。それはキリストの復活後も変わりありません。キリストの教会は2000年間、世界各地で迫害されてきました。そして、最終的にキリストを嫌う者たちがエルサレムを支配する日が来ることが、主ご自身によって、あるいは黙示録に預言されています(「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つ」マタイ24・15)。
エルサレムの政治情勢は人間の目には複雑ですが、霊的には、この二つの勢力がぶつかり合うことが、この町を不安定にしているのだと思います。「エルサレムの平和のために祈れ」(詩篇122・6)という言葉を心に刻み直した旅でした。