「デジタル・ネィティブと呼ばれる人類が、世界中に育っており、やがて世界を征服する日が来るだろう」。そんなぎょっとするような番組がNHKで放映されていました。
デジタル・ネィティブとは、物心付いた頃から、コンピュータの中のインターネット社会で育ってきた若い人々のことです。コンピュータは小さな箱ですが、全世界(の人々)とつながっており、世界のあらゆる情報を取り寄せることができます。それを駆使して成長するデジタル・ネィティブは、コンピュータの中で繰り広げられるインターネットの世界こそが、「世界」そのものであると断言してはばかりません。つまり、彼らは、現実とネット(バーチャル、仮想世界)を区別せず、両方とも現実であると主張するのです。こうした人々によって、今までの社会の常識や構造が覆されていくということでした。
ところで、コンピュータの世界は、五感のうち視覚と聴覚の二つだけで構築されています。その世界こそがすべてだと言うなら、触覚、味覚、嗅覚は排除したことになります。この三つの感覚は、見えず聞こえない世界を感知する能力を発揮します。これを切り捨てた世界で本当にいいのだろうかと思います(テレビ漬けの生活もそうですが)。
ルカ8章にある「12年間長血を患っていた女」は、こっそりイエスの裾に「触れる」ことで癒されます。マリヤはイエスにナルドの香油を注ぎます。イエスの弟子たちは、「パンを食べ、ぶどう酒を飲む」ことで、新しい契約を結びます。ペテロらは復活のイエスと一緒に食事をすることで、主に赦されたことを確信します。そして、初代教会は一緒に集まって「パンを裂いて」いました。このように、触覚、味覚、嗅覚もキリスト体験を担います。この感覚を奪われてはなりません。
これからのコンピュータ社会に対し、聖霊様はどのように働いてくださるのでしょう。目で御言葉を学び、耳で聞く以上の聖霊の働きを求めていくべき時代だと感じます。