第44代米大統領オバマ氏の就任演説は、多くの人々に感動と希望を与えたようだ。今後、オバマ政権の評価は様々に変わるだろう。しかし、少なくとも今、この演説が人々の心に訴えるのは、「繁栄と自由」という明確な国家理念と、その理念のために戦ってきた歴史を誇りにして、希望と励ましを語っているからだと思う。
新大統領が称賛するのは、「長いでこぼこ道を、繁栄と自由を目指して」米国を導いてきた働く無名の男女である。「我々のために、彼らはわずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。我々のために、彼らは劣悪な条件でせっせと働き、西部に移住し、鞭打ちに耐えながら、固い大地を耕した。我々のために、彼らはコンコード(独立戦争)やゲティスバーグ(南北戦争)、ノルマンディー(第2次大戦)やケサン(ベトナム戦争)などの戦場で戦い、死んだ。」
そして、こう語る。「(我々が直面している)試練は数多く、そして深刻なものだ。短期間では解決できない」。我々も彼らの犠牲と奉仕の精神を引き継いで、「氷のような冷たい流れに勇敢に立ち向かおう。そしてどんな嵐が来ようとも耐えよう」。この言葉は、米国民ならずとも、胸を熱くされるだろう。
ところで、私も日本人として、日本にも誇るべき民族の歴史と精神はあると信じたい。しかし、日本の指導者が、この困難な時代にあって、祖国と民族と歴史に誇りをもって希望を語り、国民の心を熱くすることができないのはなぜだろう。それは、指導者に国家理念がないことに加え、歴史に対する国民の疚しさが払拭されていないからだと思う。ネヘミヤのように、「まことに、私も私の父の家(イスラエル民族)も罪を犯しました」(1・6)と告白できれば、堂々と希望を語り、将来をリードできるようになれる。ネヘミヤは、民族の将来に希望があると信じるから、民族の罪を告白できたのだ。希望は、悔い改めて初めて現実となる。
さて、オバマ氏の演説も、米国の歴史的な罪への言及がひと言でもあったら、世界に向けてもっと輝いたことだろうと思う。